2015年




ーーー5/5−−− くす玉を作る


 常会(町内会)の有志で行っている月例の飲み会。会場は、地区の集会場。順番に回る幹事役が、酒とつまみを準備する。千円ぽっきりの会費で行われるので、気軽に楽しめる。自分らで蕎麦を打って食べることもあり、別名蕎麦会とも言う。

 三月の蕎麦会でのこと。月末に定年退職をするメンバーがいるので、次回はその祝賀会も兼ねようとの提案が出た。それなら、くす玉なども準備するか、と冗談を言った。その時点では、現実的な話ではなかった。

 数日後、くす玉製作を思いついた。次回の飲み会だけでなく、公民館の行事、例えば敬老会などでも使えるだろう。利用価値は十分にあると考えたのである。

 作り方は、ネットで調べた。便利な時代である。居ながらにして、くす玉の作り方まで知ることができる。いろいろなやり方が出ていたが、ザルの外側に紙を張る方法を採ることにした。

 百均ショップで、手ごろな大きさの、ビニール製のザルを二つ購入した。工房の設備を使って、縁周りや底の不要な部分を切り落とした。底面が平らだと、合わせても球形にならないので、発砲スチロールの板を貼り付け、ヤスリで削って丸く仕上げた。ザルの上に紙を張り、ボンドが乾いたらまた張るという作業を繰り返した。最後に塗装をし、色テープを下げ、垂れ幕を取り付けた。

 紐を引いて開く仕組みが、計画段階ではいまひとつピンと来なかったのだが、実際に吊るして試してみたら、意外と簡単に上手く行った。天井から吊り下げる紐を取り付ける位置がポイントである。適切な位置で吊るせば、閉じているときはそのままだし、完全に開いたら開きっぱなしとなる。

 仰々しくくす玉を持ち込んで、上手く開かなかったり、垂れ幕が下がらなかったりしたら、みっともない。工房内で繰り返しテストをした。垂れ幕にテープが絡みつかないよう、テープは巻いて納めるなどの工夫をした。何度やっても、玉はパカッと開き、テープはするりと下がり、垂れ幕はストンと展開した。失敗は生じなかったので、自信が持てた。

 いよいよ飲み会当日。風呂敷に包んだくす玉を見て、「ボーリングの玉ですか」、「スイカでしょう」などと言う人がいた。天井からどのような仕掛けで吊り下げるかが気になっていたが、蛍光灯のケースを利用することで解決した。

 宴が始まり、乾杯とともにくす玉を開いた。紙吹雪が舞って、ビールのコップに落ちた。それを迷惑と感じるかと心配したが、「これは縁起が良い」などと、かえって受けた。祝福された当人は、「くす玉で祝ってもらったのは、人生で初めてだ」と喜んだ。

 全て首尾良く進み、安堵した。当然のようにして、「これ自分で作ったのですか? よくやりますね」という声が聞こえた。

 そういえば、先日たまたま工房を訪れたお客様が、製作中のくす玉を見て「これは何ですか?」と聞いた。私が事情を話し、「公民館の行事にも使おうと思いまして」と言うと、「公民館長がくす玉まで作るんですか?」と驚いた様子だった。

 飲み会のメンバーからは、一回限りではもったいないから、これからも機会あるごとに使おうという意見が出た。垂れ幕のメッセージを変えれば、誕生日のお祝いなどにも使える。そのように有効利用していただければ、ありがたい。

 




飲み会の翌日、娘が孫を連れて帰省した。さっそく垂れ幕を交換し、くす玉を開いて、歓迎した。

 
 





ーーー5/12−−− 催眠術体験


 
今から40年近く前、勤めていた会社の独身寮で暮らしていた時のこと。同期入社の友人が、催眠術を習い始めた。週に二回ほど、就業後にわざわざ東京まで出て、教室に通ったのである。どういう理由で催眠術を習おうと思ったのかは、分からない。

 習い始めてしばらくしたら、寮に住む仲間を実験台として使うようになった。私も部屋に呼ばれた。

 畳の上に、仰向けに寝かされた。そして目をつぶる。「さあ、白い雲が見えるよ」、「あなたの体は、フワフワ」、「ゆっくり空に上がって行くよ」などの言葉が聞こえる。しかし、雲も見えないし、フワフワもしない。もちろん空に上がりもしない。そのうちに、「おい、寝ちゃったのかい?」という言葉で目が覚めた。催眠術ではなく、熟睡術といった感じである。

 その後も何回か呼ばれた。当人は、だんだん上達したと、毎回自信ありげだが、こちらとしては何も代わり映えがしない。まじめに付き合って、言うことをちゃんと聞いているのだが、一向に不思議な世界に入って行かないのだ。「三つ数えて、合図をしたら、あなたの体は鉛のように重くなって、もう起き上がれない。一、二、三、はい!」などと言われても、むっくりと起き上がれた。

 ところが、である。あるとき、いつものように仰向けに寝かされ、目をつぶらされた。そしていろいろなおまじないのような事を一通りやった後、右手を額に乗せろと言われた。そして、「三つ数えて、合図をしたら、その手は額に付いたまま動かなくなります」と予告された。「またか」と思ったが、言われるままに従った。合図があり、「はい、これで右手は額から動かせません」と言った。私は「いつも通り、馬鹿げている」と思った。ところが直後に「嘘だと思ったら、左手を使って、右手を額から離してみて下さい」と言うのである。私は「はいはい」という感じでその動作をした。ところが驚いたことには、どんなに力を入れても、右手は額から離れなかった。

 私の人生で、催眠術にかかったのは、後にも先にも、この一回だけである。貴重な体験であり、また驚きの体験でもあった。

 ところでその友人は、催眠術はかける事よりも、外す事の方が難しいと、常々言っていた。初期の段階から、そう習ったのだという。かけられもしないのに、外す事を心配するなと、からかったものであった。しかし彼は真顔で、外すときに正しい方法を取らないと、後遺症のようなものが残ると言うのである。その後遺症は、再び正しい手段で矯正しない限り、死ぬまで残るという。その恐ろしさを、教室では厳しく指導されたそうである。

 たった一回だが、催眠術をかけられた。しかし、どう見ても彼の技術は初心者レベルだったと思う。今頃こんな事を言っても仕方ないのだが、あのとき正しく外してくれたのだろうか?そう思うと、40年の歳月を過ぎてなお、いささかの不安がよぎる。
 



ーーー5/19−−− DM製作の様変わり 


 今月末の展示会に向けて、DM(案内状ハガキ)を作った。展示会は、個展とグループ展を合わせて、これまで20回以上開催した。最初は1994年であった。その頃と比べると、DMの作り方は、大きく変わってきた。

 当時は、版下製作を印刷所に頼むしかなかった。文面の原稿を作り、レイアウトのスケッチを添えて送る。挿入する地図などの絵は、別にデザイナーへ依頼して作らせた。版下が出来上がると、印刷所が郵便で送ってくる。それを見て、問題なければOKを出すが、修正を要する場合は、引き続きやりとりを行う。

 DMには写真を載せる。その写真を、昔はフィルムカメラで撮った。印刷には、ポジフィルムを使うと具合が良い。その理由もあり、当時の私は、家具の写真は全てポジで撮っていた。カラーフィルムの現像は自分ではできないから、写真屋に出す。

 余談だが、ポジからプリントすると、料金が高かった。それでも、作品写真集のために、大判のプリントをしたものだった。ネガと違って、町の写真屋ではポジのプリントができない。写真屋から専門のラボへ送って依頼をするというシステムだった。そのやりとりに、一週間は掛かったものだった。しかも、プリントの仕上がりはラボ任せ。色調やコントラストの調整はもとより、トリミングすら自分では不可能だった。期待を持ってプリントを受け取りに行っても、がっかりするような出来映えのことも多かった。

 DM印刷には、ポジにプリントを添えて送る。プリントには、ハトロン紙を重ね、それにトリミングを書き込み、文字を重ねる場合はそれも指示した。写真面も、文面と同様に版下が確認のために送られてくる。その写真が、思ったような見映えでなくても、どうすることもできない。

 以上は、過去の苦労話である。さて、現在はどうか。

 版下は完全版下をメールで入稿する。完全版下とは、そのまま印刷に使える状態のものを言う。それを、自分でパソコンで作れるのだ。マップやイラストも自分で描ける。アドビ・イラストレーターというソフトを使っているが、そのソフトで作った版下は、そのまま印刷所が受け付ける。文面製作、レイアウト、画像配置など、自由自在である。自分で作業をするのだから、試行錯誤はパソコン上でいくらでもできる。納得がいくまで、修正を繰り返せばよいのだ

 写真は、デジカメで撮る。いろいろ条件を変えて、何十枚撮影しても、費用は掛からない。撮った画像は自分で処理できる。特にデジタル一眼レフで撮影する場合には、Rawモードというのがあって、いわゆる現像操作をパソコンで行える。これを使うと、画像の仕上がりが格段に良い。画像のサイズ調整、トリミングなどは、専用ソフトを使えば、いとも簡単にできる。

 かくして、自宅のパソコンを使って、完全版下が出来上がる。それをメールで入稿すれば、早ければ二日後には指定枚数の完成したDMが届く。写真撮影から四日間で現物を手に入れる事も可能になったのだ。

 この便利さは、過去の事情を知っている者にとっては、驚嘆の世界である。しかし、驚嘆と共に、ちょっと複雑な気持ちにもなる。おそらく多くの職種が、便利なITのおかげで、仕事を奪われ、消え行く運命にあるのだろう。
 

 




ーーー5/26−−− 現状維持も難しい


 
テレビ番組で、讃岐うどんの名人を取り上げていた。そこらじゅうにうどん店がある本場の地で、この名人の店は、行列が出来るほど評判が高い。その名人は時々、独立した弟子の店へ出掛けて、味を見るという。

 関東地方に店を出した弟子のところへ行って、うどんを注文した。食べながら、首をかしげた。何かが気に入らないようだった。その後、弟子と話しをして、いろいろアドバイスをしていた。そして言う、「うどん作りは、数多くの作業が全て上手く行って、初めて美味しいものが出来る。毎日仕事を続けていると、知らないうちに、作業の一部が正しい状態から外れていくことがある。そうすると、次第に味が落ちてくる。毎日のことだから、本人は気付かない。しかし、客には分かる。そして次第に客足が遠のいていく」

 これを聞いて、別の話を思い出した。

  東京のあるラーメン屋。とても評判が良く、わざわざ遠方から食べに来る客も多い。その店主が言っていた、「昨日より美味しくなるよう、毎日心がけています」。それはおそらく、ラーメンの作り方だけでは無いだろう。店の雰囲気や、客への応対など、様々な事に関して、お客に「今日も美味しかった」と言ってもらえる様に努力をする、という事だと思われた。毎日改善を試みるくらいでないと、お客は「いつもの通り美味しい」と感じてくれないのかも知れない。

 うどん店の話は、現状を維持する事でさえ難しいという教訓を与える。そしてラーメン屋のエピソードは、現状を維持するための、重要なヒントを感じさせる。
 






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